天と無智
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国の強行自己責任プロジェクトA ゼロ・トレランス
ゼロトレランスと言うのをご存知ですか?
ゼロトレランスとは毅然とした態度で臨むという感じの事らしいのです。
要するに寛大な気持ちは一切ない、考慮しない。

つまり、何かあってもそれは自己責任だ!という事を指します。

およそ政治の世界には無縁ですが、その制度を教育の場に設けようとしています。
この制度が施行された場合のもっと先の未来の大げさな結論付けを行うと、未成年の刑事責任も課すような制度にまで発展するということ。

ようするに子供だから刑事責任には問えないと言う事はなく、12歳未満だろうが 殺人は殺人として処罰できるようになります。

政府は口に出していいませんが、とどのつまり力で捻じ伏せますって事です。
これが政府の言う小さな政府の前提として必要不可欠であると。

生まれたばかりの赤ん坊が置き去りにされた場合、保護者責任放棄も悪いがそれ以外に自分で生きられない赤ん坊も悪いと難グセつけるわけですわ。
どこまでも自己責任を押し付けることで小さな政府を目指す。
我関せず、でも税金(゚Д゚)ウマウマー。そんな政府。

極端だけど、そういう事で間違いなしです。
政府の性格を考慮して言った事なので まあ間違いはないか。

  _   ∩
( ゚∀゚)彡 じっこ責任!じっこ責任!
 ⊂彡


暴走はそれぐらいにして、上で言ったことは大げさかもしれないがあながち間違いではない。
結局突き詰めていけば、行き付く先は自己責任で年齢や老若男女の違いは関係ない。あるとすれば、権力の有無ぐらいなものだろう。

教育現場の荒廃の原因は何か?
これを学校教育の現場という狭い視野で見るよりは、もっと大きな視野で、社会全体で見ると意外と分かりやすい。
学生という身分の後ろ盾のある、ないに関わらず非行というのはどこにでもある。
どこにでもあるが、その推移を調べてみるとだいたいポイントが絞れる。

少年非行の推移
犯罪の推移

どっちも同じ傾向に延びているのが分かるだろう。
(細かい事は気にするな。そんなデータはさほど重要じゃあない。)

犯罪の推移の記事の一番下にこういう文面が記載されている。

一般には生活環境、特に経済的環境の悪化の中で増加するものと考えられる。ただし、環境条件の捉え方については、相対的なものであり、例え所得水準が極めて低くても、明確な目標があり着実に努力し続けれる状況であれば増加は起こり難い。これに対して、例え豊かであっても、生きていく目標の喪失等があれば、社会病理現象の増加が起こり得ると考えられ、韓国にあっては、オリンピックが開催された、1988年頃にそれなりの転機があったようにも見受けられる。
 他方、家族や地域社会での相互扶助あるいは総合監視の体制があれば、上述のような社会病理現象は起こり難いものと考えられが、核家族化や都市化の中で、このような体制は崩れてきていると予想される。日本や韓国の社会について包括的に語る際に、儒教社会の強さを主張したりすることは、もはや困難となりつつあるのではなかろうか。


ここに指摘してあることは、実に真の真実。
ポイントを押さえて指摘してあります。

教育の観点も基本はこの説明に帰属することになります。
目標がなくても、努力が出来るような社会なら別段問題はないのです。
目標なんてものは、日々の努力の中からヒントを得るものだと小生は思います。

そう考えると、努力する術を取り上げられた人間は、まさに生きる屍となってしまいます。
そして、それを奪っているのは今の政府権力者であるのは言うまでもない。

学歴一辺倒な体質からいまだに抜け出せず、また学歴偏重であっても確実ではない不確定要素の割合の高さに関わらず、すべては学歴からと。

そういう文部省の方針のもと、ないに等しい受け皿からこぼれた生徒は文字通り自己責任をかぶせて闇に葬る。
偉くないけどえらい人「…遺憾である。遺憾である。いかん事をするのは遺憾である。」と。
もしくは「こんな事をするなんてびっくりするクマー(゚Д゚)」と。
んで「さっそくケアにあたりまーす(´▽`)ノ。政府はちゃんとサポートしまーす。だから見ててね。」

ねえ?原因は?原因は?
原因を追求すると、
「…そういう事実があたかもしれない。」
「…みんながそういうならそうなのかもしれません。」
「それに関しては政府は引き続き調査くぁswでfrtgyふじこ」
「現在資料が届いていないのでコメントできません」

で、選挙のときには
「バカボンのパパはパパだからパパなので改革が必要なのだ!」
「原因を追求するためには今の改革を推し進めねばならんのだ!」
「抗議する!改革、改革、とっとと改革」
「日本を進めよう。改革を諦めない自任党(高慢党)」

ってところですか?

歴史とか科学とかも大事かもしれませんが、切実な所は”生きる上で必要な事は何か?”ではないでしょうか?
文部省がどんなマニュアル作ってるか知りませんが、社会に対して役に立たないものや、障害でしかないような教育にはほとほと疑問を感じます。
とりあえず、触ってみますの精神は大事だが、明確な筋道のない今においては時間の無駄を通り越してクソの肥やしにもなりゃしません。
そう、必要なのは社会に出るまでの道しるべと、その後の社会に対する適合性と柔軟性。
そしてギャップを埋める事なのだ。
それがないから人は戸惑い迷う。

文部省と労働省は畑が違います。
同じ政府内であっても、互いに意見を交換したりと言う事は皆無です。

 
いまある悪い問題を紐解いたときに、
両親が共働き、悪鬼極まるニュース報道、不祥事、正義のない社会、現実とかけ離れた政治、格差のある労働環境、破綻した制度、バランスの悪い仕組みなどなど。
悪い要素が組み合わされていろんな凶悪事件に発展するケースを見るにつけ、
結局行き付く先は…。
こういう問題を間違った政治だけの考えだけで推し進めるからさらに状況が悪化する。
その中には民意や希望という言葉は存在しない。

ゼロ・トレランスのモデルケースを示すのに絶好だったのが先の造反組みだったのだがね。所詮、こういう環境に育った人間の描くゼロはゼロでしかない。
何も生まない、生まれない仕組みでしかないということだ。

要するにクソの肥やしにもなりゃしないという事だ。


記載日05/11/02 水曜日
界援隊グルーブ

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Author:界援隊:SINNI(シンイ)
勝ちと負けの関係と 上から見下(オロ・クダ)す視点と 下から見上げる視点は似ていると思う。
二者間から良い関係など生まれようはずもなく、それを擬似的にごまかす風潮があるのが今の日本の特徴と言える。
合理に則して3すくみ+α程度の関係が望ましいと思う今日この頃。

この考えも∞にある答えのひとつであり、答えにもならない答えであること。

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