天と無智
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受験に卒業に左右される教育ってあんだぇ?
改革に対する変革:行政側と現場側との温度差

極端な話 日本語と漢字=国語 さえ出来れば、つまり読解力さえ身につけば応用はいくらでも利くということ。
それ以外 学ぶ・学ばないは本人の意思次第と。
(補足するならば算数とローマ字ぐらいは必要か。)


ところで、必修科目の履修漏れ問題だが、該当する学生にとっては真に不本意な事態のようで…。
こういう問題事態、行政側のなあなあ体質というのか、懸念されたであろう材料を長年放置する体質ゆえの問題から起きる ある意味必然とでもいうのだろうか。
ネットワーク社会において、あまりにもお粗末な展開とも取れるあたりも行政的といえる。

現場と行政側との空気の隔たりという言い訳をいってしまうとあっさり片付いてしまうが、現場における変革と行政側の改革の歪がもたらすもの…、何をおいても教育とは何かという理念のなさが招いたものだとするのならばなんとも嘆かわしい。

そもそも教育って何?
おいしいの?
的な発想しか生み出せていないような現状に悲壮感すら漂う。

教育を受ける立場の人間なんて教育課程において教育の重要性を知ることなど なかなか出来るはずもない。
結果論的には、「ああ、もっときちんと学んでおくべきだった」と悔やむ事はままあるが、
それとて今の社会がもたらした弊害ゆえと考えるならば悲壮的に考えるのは早計である。


社会に出る=自立・突き放し を意味する。
ある意味で 教育とは社会に出てから学び得るもので、生きる術・糧を探求し得るもの。

単に学歴のみを重要視するような教育は教育とは必ずしもなりえない。
今回の事例はそういう側面を浮き彫りにしているかもしれない。
履修の有無にこだわり続けるのは単に統制をはかるという意味でしかならず、お偉方の思惑しか反映されていない。(この部分が現場との温度差であろう)


日本の教育に理念があるのかどうか知らないが、その教育のもたらすものが結果としてフリーターやニートなりの姿だとしたらどこに問題があるのかを検証しなおすべきであろう。
もっとも利権的な意味での行政主体では未来永劫進まない。



ところで、21世紀に入ってから今日までに起きた不祥事の数々。
2003~2006
雪印から始まり、耐震偽装・金融機関の不祥事など民間不祥事。
2006 特に今年は多い役人様の不祥事その他談合などなど。

なにが問題でなにが問題ではないのかそろそろ見極めがついてもよさそうであるが。


いじめ件数0とする文部科学省の件と今回の件は奇しくも同じ構図と見て取れる。
おっと、文部科学省だからという理由は却下。

世の中にニーズというのがあり、それに即して改革するのが行政・政治の責任であると同時に、一定の文明や文化を残すことも責任ではあるがそれは単にきっかけに過ぎず、それを育むのは行政ではなくそこに住む人間であること。
必要か必要でないのか 時には取捨選択を迫られることもあり、両方もなんていう欲は持たないほうがいいのである。結局中途半端な教養のせいで迷惑をこうむるのは該当する当事者である。

あくまで権力を維持したい文部科学省と変革への展望に期する現場。
その間に挟まれる学生。

構図としては三者すくみだが…。

教育は命令でも義務でもなく自らが欲するものである などと言うと学者肌をさらしているようで恐縮だが、可能な限りは主体性をもっての教育であってほしいと切に願うし、それが活きる社会であってほしいとも。

この世には人生のお手本や教科書に事欠かないという事を知っている人はほとんどいない。
かくゆう小生も‘知らない’ということを ‘活字’という教科書を通して知ること毎日。


今回の件も文部科学省による犠牲といえる。
教育を知るなら権力の壁を超えた先にあるものだとおもう。
(義務教育は必要だけどね)
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界援隊:SINNI(シンイ)

Author:界援隊:SINNI(シンイ)
勝ちと負けの関係と 上から見下(オロ・クダ)す視点と 下から見上げる視点は似ていると思う。
二者間から良い関係など生まれようはずもなく、それを擬似的にごまかす風潮があるのが今の日本の特徴と言える。
合理に則して3すくみ+α程度の関係が望ましいと思う今日この頃。

この考えも∞にある答えのひとつであり、答えにもならない答えであること。

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