天と無智
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評価する術
よくある世論調査は判断の基準とはなりえないのは規模の小ささにある。
そんなものより株があれば判断の目安としては確実だろうに。

仮に株式会社政府という企業があった場合、株の推移はどうだろうか?

中長期的に見てもおそらくは暴落するだろうというのは目に見えている。

それと同じように各政党に対する株取引・運用が可能だとした場合、おそらく自民は伸びるし、民主は未知数。
ただ、この両者の関係は天秤と同じでどちらかが伸びればどちらかが落ちる。

政府は駄目=政党は駄目だとはならないのが、現状の問題を物語っているという意味においてはさもありき。

政党は投機ねらいであること。
政府は投資ねらいであること。

結局は株式会社指標としての政府はカスに近いと。
政党は目先の欲に駆られる意味で、将来的な展望を指す意味にないということ。
政治はともかくとして政党と呼ばれる集合体は烏合かどうかはともかくとして えてして評価しづらいものであるということだ。

ビジョンが見えないという理由もあるし、いわゆる権力の中枢につきものの甘み疑惑。
何よりも政治に対する意思表示がない・もしくは曖昧なのだ。
選挙はかならずしも意思表示とはなりえない。

汚い言葉かもしれないが、精神的な事ではなくもっと具体的な何かをぶら下げる必要があるのと、特権的な意味をすべて取り払う必要性を説く。
ようするに金なのだが。

選挙に必要なのは実は金。
投票に行くだけならタダなのだ。(選挙に掛かる費用などの税金はこの際無視)
選挙民にとって投票は会場に行くだけの浪費分だけ払えばいい。
それはたしかに意思表示ではあるが具現性にかける。

タダじゃんという感覚ほど怖いものはない。

票じた結果が吉か凶かに関係なく、当選した人間には とりあえずは特権がつくわけだが、それは諸氏のあずかりしらぬところだが、確実に金が掛かっているわけだ。
いわば、先行投資にあたるわけだが…。


当選したら当選しっぱなしというのが今のというか既存の民主主義社会の欠点ではあるが、それ自体が欠点かどうかというのはひとそれぞれだ。
特権があることで本来の職務を逸脱するケースは多々あることから考えても普通に欠点といわざるをえず、それをモラルに依存するほど人間はえらくはない。
また、わざとこういうケースを残したのは今も昔もだが、言ってみれば落ち度である。

民主主義 アメリ米方式の仕組みを取り入れた段階からすでに始まっていたことだろうし。
薩長閥に固められた新政府時からすでに、坂本竜馬が暗殺された時から決まっていたようなものなのかもしれないのもまた事実。


基本的に評価に対する対をなすのは、一対多である。

国であるところの民。

それと同様に教育現場における先生の評価を決めるのは教育委員でも教育長でも校長でもない。
選ぶことは正しくても評価の後付はそこで学びうる生徒であること。

先生の資質を育むのも生徒であること。
生徒に受け入れられない先生が淘汰するのはそれは先生の努力不足だということ。
生で教育現場を見ていない教育委員会が口を挟む問題ではないのだ。


もっとも、これを成立させるためには、子供つまりは生徒側に大人と同じだけの権限があるということは忘れずに。
学ぶ機会はいくつでもあるということ。
学ぶタイミングはかならずしも唯一無二ではない。
学ぶ・学ばないの取捨選択を選ぶという行為そのものが教育上だけではなく生きるうえで大事な意思の介在であること。

強制できるほど高みに立っていない国がどうこう決めようとしている時点ですでに破綻しているのかもしれない。


国が資質を高めようとすればするほど、逆に資質が低くなるという逆説は過言ではないのかもしれない今日20年前。

学ぶということに権力や不尽が付きまとうその精神体を拭い去るというところから物事は始まる。
100%は無理でも、極力突き詰めていけばさほど難しい事でもないのかもしれない。

常識的範囲内とリスクとリターンである。
景気の良し悪しよりは景気の善し悪しの方が実は大事
ジャンボ!(こんにちはの意)

いざなぎ超え云々で景気が良いとかなんとかアホ筋から大々的に叫ばれておられまするが、
日経平均から見て たしかに平均8000円台だった頃と比べるまでもなく良くなっておられまする。
日経平均株価は単純にリアルタイムに見る経済指標である。

これを判断材料として結果景気の良し悪しの判断とするところは間違いではないが、これだけを判断とするのならば、それは三流以下。だと思うぞ。
周りを省みない、足元がお留守ですよ状態を三流以下と呼ぶ。
学習機能がないのも三流以下という。


景気が低迷した当時(今も?)に何を見て、何があったのかを振り返る必要がある。
見るではなく観る。

何があって、何が変わって変わってないかを…。


大きいものを挙げると、
雇用の形態がはっきりと変わった・変わっていない。
変わったのは終身雇用の崩壊であったり、正社員減の派遣増。
変わっていないのは終身雇用制度そのものであること。

終身雇用の崩壊が囁かれているが、誰かが決めたという取り決めではない。
そういう傾向にあるというだけだ。
だが、現実には国側がそれを容認もしくはその傾向を踏襲したような方向性から見るにつけても暗黙の了解といえなくもない。
ただ、どっちつかずの宙ぶらりんな不安定な情勢に変わりはないということだ。



大きいものを挙げると、
いわゆるモラルの低下とやらが挙げられるが、政治家に直接的な殺人者はいないという事。
つまり余裕があるということと、リスクがないということ。御幣はあるが気にしない。

ようするにモラルなんていっていられるのも、余裕あってこそのものだといいたいわけ。
あとは自身の通念だろう。
だけど、その通念さえも余裕の前に屈してしまう事も十分にあるということだ。
それを踏まえて企業の不祥事に目をやれば、昨今の不祥事も度し難いものだとはかならずしもいえないのも事実。
というのも経営者側の視点に立てば理解のしようもある。

経営者側の立場や通念や理念を捻じ曲げる・られるような法案がまかり通るような勝手が生んだ産物であったり、またはその逆が生んだ産物であったりするケースはある。
それがいわゆる景気とはまったく無縁の人間がノウノウと能書き垂れるケースなだけに怒りも収まらないのではないかと。
合理とはほど遠い到底納得の行かない問題が多い。

意味もなく痛みを強いるケースと基本的には同じだが、意味もない理由は基本的に自分自身とはまったく無関係なベクトルに位置する改革に対してそのツケを痛みと称して強いる事にある。
いや、まったく無関係とはこの日本にいる以上はありえない話ではあるが、どちらにしろそこから見えるべきはずのビジョンがまったく見えないという観点からしておおよそ無意味なのだ。


極端な話だが、時代背景的に見て、先の郵政民営化はその時代とはとんと関係はないもの。
しようがしまいがあまり関係はない。
が、切らない理由はないという言い分に対して異論はない。
不必要なものを切るという感覚は当然である。
ただ、タイミング的にどうなのかといわれれば疑問視せざるを得ないし、また民営化の意図するところがいまだよくわからん。

到底合理に合わん(理不尽な意味)公務員仕事に対するメスを入れたという点ならば、理解できなくもないが、それとは意図するところが違う気がするが。
補足しておくと、公務員に対する見方というものに偏見はない。
情熱の云々は分からし、仕事に対する姿勢も分からんが、公務員は公務員なのだ。
不祥事云々で公務員の資質が疑われるというのにはいささか疑問を感じる。

むしろ疑うべき箇所は分かっているつもりで、その仕組みだろう。
これは公務員を例に挙げるよりも政治を例に挙げたほうがしっくりくる。
公務員は政治の仕組みを踏襲しただけのものと理解している。

まあ、いまさら挙げるまでもないことだろうが、議員はすべてに対して合理とは無縁な位置に存在していると思っている。
それ以前に今の選挙自体疑わしい。
いや、別に不正だとかそういうことを言っているのではなくて、政治や選挙が限りなく固定的なのだ。
その原因は政治離れなのだが、それを招いているのもまた政治家であり、国民でもあるが、事あるごとに国民のせいにするのはどうどうめぐりなのでこの際却下。
結局はそれを変えられるだけの権限や権力を握っている政治家たるべき仕事。

政治離れが進むということはつまり、政治は固定化される。つまり組織票。
結果同じ人間が政治をツトめるということになる。
理念のあるなしいかん以前の問題でツトむ。


リアルタイムな日本というものを見た時に、何年も政治をやっている人間にそれが務まるのかどうか甚だ疑問だ。
少なくとも政治に携わる以上何か明確な目的があって従事しているのは間違いないが、じゃあそれがいつ達成されるのかまでのビジョンは見えてこない。

政治などでベテラン議員などと呼ばれている人間を見るにつけ、何がベテランなのか不思議に思う。
この先生きのこるための知識?
もっとも数による与党のレッテルがある以上はからなずしも頭脳勝負ではなく、猿知恵が有効な場合もあるということだ。
そういうのをいわゆる遊び心と称しているが、コレ自体は決して無駄なことではなく必要経費である。

だから新庄某政界入り疑惑も本来ならば悪いことではない。
が、今の政治がパレード色が強すぎるので、この場合においては限りではないのだ。


選ぶ側が国民ならば、引き摺り下ろすのも国民であってこそ。
ついでいうならば、評価を下すのも国民であってこそ民主主義な気がする。

国会議員の給料が固定的なのも解せない。
国を引っ張る人間なんだからもっと多くてもいい気がするが…。
無論、それを決めるのも国民なんだがね。
政党助成金なるものも理解できん。
制限なしに掛かった分を後日正当分請求できる仕組みがあれば問題ないではないか。
企業献金もわけわからん。


俺にはひどく出来の悪いバグだらけの格闘ゲームにしか見えない今のジャポーン。

関係なくはないが、景気の悪いところからいろんな不合理が見えてくる。
そういう部分を解消しない状態で景気の善し悪しはおろか良し悪しは判断できない。
10年前ならそれでも良かろうが、今はそれではだめで同じ過ちを残すだけでしかない。
不祥事・モラル云々のモデルケースはこれからも多々出てくるだろうし、犯罪低下も少子化じたいも解決には至らんだろうな。

以下略
すべてを先取りした近未来的かつ斬新な いかにもなサービス(?)
近未来的だとか、ちょっと他社を先取り(投資)して利権を確保しときましょーという謳い文句は特にめずらしいことではない。
というのは、どちらかといえばありふれた光景だから。
IT先駆けの10年以上前からあったようなもんだ。
ただ、投資に対する意味合いや意識は今と10年前では相当に違いがある。

近未来とは言っても基本的には現行を踏襲した上で先を見据えるという点に変わりはないのは世の常。
ようするに現行を充分に踏まえた上での判断となるのははずせないということ。

どういうことかって言うと、日本人的な感覚からいうと常識的範囲内に留めた上での判断を要すということ。
非常識的範疇(ハンチュウ)は該せず、物事を法内に当てはめて判断してしまうところ。

近未来とは言っても、法律の範囲を超えての近未来はありえないのは、法や国によって阻まれるからであろう。

今、世間をにぎわしている近未来某は一筋の光明としての道は名を残すことはないが、悪名としての高名としては名を残すという点では一役買っている。
もっともコレ自体悪名とは言い切れないが。

近未来という名前がどういう意図でそう銘銘されたのかという点に着目すると、二通りの考え方が伺える。
ひとつは名前が指す通りのベンチャービジネス的意味合い。
ライブドア・村上ファンド・ソフトバンクetc。
華やかさをアピールした社名だと。

もう一方が、今の時代を象徴したというか具現化しただけの社名。
う~ん。つまりはだね。
あざとい・欺き・悪(必要悪)のスリーA。


金を流す(動)という観点から、法律での規制はない。
ようするに手段は問わないということ。
御幣はあるが、現状認識としてはこんなもんだろう。


どういう方法であれ、眠っている金(虎の子の一杯ならなおのこと)を市場に流す(還元)ということにデメリットはない。
それがつまり投資ブームという奴である。
(だけど、近未来某の関係者がこの集めたお金を貯金に回していたら?(;´Д`)メモアテラレマセーン)
つまり投資というのは自己判断が極めて重要な要素であり、今回の事件は単に投資者・出資者が見極めきれなかったゆえに起きただけの問題である。
これが詐欺だとしたとしても、所詮はその詐欺を見抜く目がなかっただけであること。
(とはいえ、企業の実態とはえてして見えにくいものである。
つまりは限りなくダークともいえそう。
小売店や販売店ならともかくだが、そうではないところは特に内部事情が見えにくい。
というのも今の社会の陰部といえなくもない。
クリーン性を訴えるには企業側だけのモラルに頼りきるには心配なのだ。別な言い方をすると人間だからできないのも無理はない。
組織の人間になるということはつまり極端に言えば個の価値観は捨てるということ。
ただでさえ、教育課程においてもないものをさらに捨てる価値観というものが、この先どうなるかってことを考えねばなるまい。
仮に教育課程に個人の意思の尊重があったとしても社会に出てそれを捨てざる得ない環境しかない場合、何のための教育かってことと、社会と教育とのギャップがさらに拡張工事されてウボォァ~なことになりうるだろうと。ようするにクソの肥やしにもなりゃしない。)



近未来某は、そういう意味では非常にうまい商才があるのかもしれない。詐欺という商才が。

だけど、詐欺というブランドそのものは決して珍しくもないのが昨今の日本から見てもわかりうるだろう。
近未来某もそのひとつにすぎないのだ。
そう、今の風習に御多聞にもれず習っただけの事なので驚きを感じないのだろう。


そこで非難されてしかるべきなのが、国や政治。結局はここにたどりつく。
政治にしたって復党云々で毎日のようにへたくそな人情ドラマを繰り広げておるがね。
基をたどるとこういうくだらないやり取りの積み重ねが今の日本なんだとつくづく覚醒してきている今日この頃。


耐震偽装から今日までにおいてもそうだが、企業側を取り締まれるような仕組みがない。
ついでいうと、政治や国を取り締まれる仕組みがない。
という土台がすっぽ抜けたような民主主義社会(?)はどうだかね。

ひとつ付け加えると、企業側を取り締まるのは国や厚労省のすべき事とは基本的には違う。
すべてを統括する立場にはあるが、国の締め付けは逆効果だと。

企業側を取り締まるのは基本的にはそこに従事する従業員であったりするわけで、すが、土台法整備が追いついていないというのが現状。

これと同じことが今の政治にも言えるわけだが、選んだら選びっぱなしという今の選挙自体もそろそろ見直すべき時だろうといえるのが、いわゆる不祥事の数々だ。

悪い慣例が明るみに出るのは悪いことではない。
むしろそれは今の法から考えても必然である。


監督省庁の監督不行き届きといってしまえるだけ行けばすご~い事だが、たぶん、企業側のモラル云々の責任にして一件落着という風に済ませそうなあたりは耐震偽装のそれと同じ結末で終わりかねない自体。

そういうことをとどのつまり、「見てみぬふりをする」という事なのだろう。
それが今の政治なのだろう。

別段取り上げる記事でもなかったようだ。


プロフィール

界援隊:SINNI(シンイ)

Author:界援隊:SINNI(シンイ)
勝ちと負けの関係と 上から見下(オロ・クダ)す視点と 下から見上げる視点は似ていると思う。
二者間から良い関係など生まれようはずもなく、それを擬似的にごまかす風潮があるのが今の日本の特徴と言える。
合理に則して3すくみ+α程度の関係が望ましいと思う今日この頃。

この考えも∞にある答えのひとつであり、答えにもならない答えであること。

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